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「好きな本は何ですか」

と尋ねられると、若干、ウッと答えに詰まる。
好きな本がないわけではない。
非常に細かいことなのだが…状況次第で、相手が返答に「期待しているもの」に合わせて、答えるべき「好きな本」を選ばなければならなかったり、
そもそも、自分の好きな作品が「本」という形になっていなかったりもする。
特に後者なんて「屁理屈では?」と思われそうだが、自分の場合、ついつい「本」そのものの存在の有無を気にしなければならない分野にいた身であって。職業病が抜けきってないのだと勘弁してほしい。

さて。
今回はプライベートな場所なので、そんな細かいことまでは考えなくていいだろう。
「本」の存在云々に関しては語りだすと長いので、
今回は、あくまでも一般の書店で誰もが購入できる範囲の「本」から自分の好きなものについて語ることにする。


私は夏目漱石先生の『こころ』が好きだ。
というか、『こころ』の中に出てくる、ある一文が好きだ。
正直、登場人物の造形や物語の内容云々よりも、その一文が私の心をとらえてやまない。


黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。』


この一文に出会った時、おもわず、「嗚呼」と声が出てしまうほどに震えた。

ちょっとここで思い出話をすると…私が『こころ』と出会ったのは高校2年生の時。
思い当たる人もいるかもしれないが、『こころ』は現国の教科書に掲載されていた。
だが、それは部分的な抜粋であり、しかも、「試験範囲」という呪縛の下、実際に授業で読んだのは例の一文の前までだった。(凄惨なシーンは教室内で読まない方が良いだろう、という配慮もあったのかもしれない)
ただ、私のクラスで現国の授業を担当していた先生は、絵に描いたような「熱血教師」というタイプの先生で、「指定教科書」がなんだ、と、『こころ』について掲載されていない部分を含めて熱く語りだしたのだ。(しかもレジュメまで用意してくれていた)
そのおかげでか、私は定期試験が終わった後、『こころ』を最初から最後まで読み、あの一文に出会ったのだ。
私と『こころ』の仲人になってくださった、某K先生、今も教室で熱く語っているのだろうか。

さて、件の一文について話を戻すと。
これだけ読んでも、この一文が決して、華々しく、感動や歓喜を生むようなものではない、というのはわかるかと思う。むしろ、暗く、憂鬱な一文だ。
実際にこの一文が現れたのは、主人公が友人の死を目にした時のもので、決してポジティブなシーンではない。また断っておくと、私はそういう凄惨なシーンなどを好むわけではない。
だから、純粋に、「言葉」の力だけで私はこの一文を好きになってしまったのだ。
その時に感じた感動というのも、物語の展開に対してではなく、
「目に見えないはずの人間の感情というものを、存在しえないものを、「言葉」では表現することが可能なのか」
というものだった。

『黒い光』。
そんなものあってたまるか!
『黒い光』が、その後の未来を、全生涯をを『物凄く照らした』。
「光」に「黒」なんて在り得ないし、その「黒」が「照らす」ってなんだ!?
『黒い光』なんて見たこともないぞ!
いいや、でも、理解できてしまう。見たことない、知らないものだけど、わかる。
ああでも言い換えるなら、「影を落とす」なんて表現もあるのでは?
いやいや、やっぱり「黒い光に照らされる」方が、わかってしまう。
太陽から背き、背を丸めて下を見るような自分の「影」が落ちた道が暗い、のとはわけがちがう。
そもそも「光源」が「黒」いのだ。
どこを見ても明るくない!でも、照らされてるから見えてしまう。
「黒」いけど「光」だから、見えてしまう。見たくなくても見えてしまう。
在り得ないはずなのに『黒い光』のおかげで、絶望的な未来しかない、というのが理解できてしまう!
なんてこった!

言葉が乱れたが許してほしい。この一文を目にする時の私の脳内はまさにこんな感じなのだ。
後々、この表現は「撞着語法」(矛盾した語を用いる修辞技法)というテクニックだと大学で学んだが、それにしたって、作ろうと思って作れるんだろうか、こんな一文。私には無理。
だからこそ余計に、最高のタイミングで、最高の一文が埋め込まれたこの作品が好きだ。
「言葉」が、不可能を可能にする瞬間を見せてくれた、この『こころ』という作品が本当に好きだ。
著者の夏目漱石先生も生涯リスペクトしている。

こういう話を、大抵の「好きな本は何ですか」という質問が出てくる場面ではできないことが多い。
面接系なら「好きな本」を通して人間性やプレゼン力を図ろうとしているのだろうし、
日常の会話なら「好きな本」というのはあくまでも話題のきっかけづくりであって、その後の会話が盛り上がるようなものを期待されているのであって、私が勝手に興奮したところで相手はしらけるだろうし。
(この記事を読んでいる人にしたって、「何でこいつはこんなに興奮できるのか」と思うのかもしれない)

まあでも。
私は、こういうことを考えるとき、自分がつくづく「言葉」(言語)というものが好きなんだなぁ、と再確認するのだ。


ちなみにこの類の「好きな本」は他にもある。それはまたいつか。

「もう勘弁してくれ」

なんて非常に後ろ向きで情けない一言をきっかけに、ブログを始めることにしました。
後ろ向きだけど、自分の好きなものは捨てたくない、そこの部分は前向きでいたい、という欲張った心を満たすためです。

その「好きなもの」というのは文学。本。物語。詩。ブラブラブラ…。

今までは「研究」「論文」という形で向き合っていたものです。ずっとそのために走り続けてきました。
でも、それを専業とすることを考えると、走り続けてた足が止まったり、袋小路に迷い込んだりしてしまい、結果的に最初の一言に行きついてしまいました。

なので、今度はそこから逃げるために走り出しました。
情けない始まり方だけど、別方向に向かって走り出した、と良い方向に解釈して自分を納得させることにしてます。


よーし、もう好きなように書くぞ!
そして願わくば、自分の「好きなもの」について語ったものが、誰かの「好き」につながらんことを!

ちなみに、「好きなもの」についてもっちょい細かく書くと。

・英文学(イギリス文学、アメリカ文学、翻訳書 etc.)
・ヨーロッパ中世(14~15世紀のブリテン島周りを特に)
・アーサー王・円卓関連
・古典文学(日本、西洋両方)
・ロック音楽

お堅く見えるかも?
でも、「お堅く」見える古典文学に、現代人の自分でも「何これ、おもしろい!!!」っていう部分がいっぱいあるので、そういうのを好きなように語っていきたいな、と思います。

(ただ、妄想と虚偽は区別して。必要に応じて、ちゃんと正しい情報を踏まえて書くつもりです。)

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